昨日は、KUAT Kansai University Athletic Trainers teamの納会でした。
去年は、新型コロナウィルスの影響で開催できませんでしたが、今年はオンラインという形で開催することができました。(学生トレーナーのみんな!準備お疲れさまでした。)
私の仕事の特徴的なところとして、シーズン毎に節目がある。ということが挙げられます。つまり年度始めに(スタート)し、年度末に(ゴール)を迎えるということ。
それは、複数年に渡り同じチームで活動する事が無い。
と言う事を意味します。
2度と無い(2度と取り戻すことのできない)時間の中で、その一瞬を共に謳歌できることは、これ以上ない幸せな事として受け止めています。
同時に、その様な「とき:時間」を存分に謳歌しつつも、最近は
「何を伝えれただろう?」
とも自問自答する事が増えてきています。
これは、KUATの学生に対してだけではなく、関わった体育学生全てにおいても通ずる事で、この問いの「答え」は見いだせていません。
多分、Athletic Trainingというものが、形には見えないサービスだからだと感じています。
だからこそ。「何を伝えれただろう」と自問自答を繰り返してしまいます。
そんなモヤモヤした心境が「心」の大半を占めているこの時期に、納会の場で、あるOGの方からとても嬉しい言葉をいただきました。それは、私がもう5年以上前に、KUATにて講習会をさせていただいた際に発した言葉でした。
とても印象的だったので、今でも覚えています!
と。発言した本人ですら覚えていなかったことを、5年以上経った今でも記憶に留めてくださっていました。
「心」もモヤモヤが少し晴れた気がしました。
「言葉」という、感情や想いを伝える手段として扱う(発する)音の一つ一つに秘められた力がるのだと再認識できました。
その「力」が受けて側にどの様に「作用」するかはわからない。その様な側面を含んできるものだからこそ、伝える作業の一つ一つを丁寧に、自分にしかできない表現の仕方で伝えていこう。その様に解放への糸口が見えた気がしました。
明日は今日の積み重ね。今日は昨日の積み重ね。
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翼